市川電蔵事務所

ヘンだと思ったらちゃんと抗議する、そんなアタリマエのことができるようになろうと。

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じーちゃん その2

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多くの人は、じーちゃんとばーちゃんが二人ずついることだろう。いわゆる、父方母方ってやつだわな。
昔のエントリでも取り上げたが、僕が一番尊敬する人間には、もう永年名誉顧問みたいな位置に母方の祖父がいる。元陸軍軍人で、満州にいた関係上大東亜戦争後にソヴィエト連邦に抑留された。生きて帰って来れたために僕も生まれたわけだが、16年前に亡くなった。最期まで、髪は白かったがフサフサだった。
いっぽう、父方の祖父とは、生まれてからずっと同居してたわけだ。田舎のことだし、僕の家は最盛期には両親・姉二人・祖父母・親父の弟二人それに僕と、合計九人家族だったこともある。田舎のアタリマエとして、僕のような末っ子は祖父母が育てるのと同義だった。
同居してた父方の祖父ってのは、僕が小学校に上がる前の年の秋に死んだ。実は、あまり記憶に残ってないんである。最も記憶に残ってるのは、祖父が死んだ夜のことだけだ。イナカの40年前、ヒトはイエで息を引き取るのが普通だった。祖父は風邪をこじらせて寝付き、一週間かそこらで死んだと記憶してる。享年72歳だったそうだ。
末っ子の長男だった僕は、祖父にことのほか可愛がられたそうだ。田舎の魚屋の隠居じじいは、昼間から酒をくらって、徒歩5分のところにある国鉄の駅で背負った孫に蒸気機関車を見せていたんだそうだ。父方の祖父は母方の祖父よりもだいぶ年を食っていたため、徴兵にもあわず田舎で過ごした。戦中において(昭和12~20年)、僕のオヤジの弟4人をばーさんに産ませたんだから、あるイミバカヤロウかもしれん(笑)。
いまや実家の仏壇の写真でしか拝めない祖父、頭はほぼスキンヘッドである。僕の記憶の中でも、耳の上あたりに短い髪の毛が残ってたもののほぼハゲだった。明るいうちから酒を喰らい、キセルでタバコをふかすじいちゃん。僕も最近だいぶ年を喰ってきたが、どうもあんたらじいさま達に顔つきが似てきたような。髪はまだだいぶあるんで、母方のほうかな。顔つきは父方の大酒飲みに似てきたかな。あなたがたに恥ずかしくないような生き方を、残りの人生でやっていきます。
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