市川電蔵事務所

ヘンだと思ったらちゃんと抗議する、そんなアタリマエのことができるようになろうと。

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食べかた

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僕は40半ばで、裕福とは言えない家庭で育ったんである。田舎ゆえにとりあえず住居は広く、三人姉弟でもそれぞれ個室はあったが、余分なゼニはなかった。もともとが自営業で、食料品店である。まぁ食うには困らなかった記憶があるが、なんだかんだで食い物に携わる仕事をしてる家系だろうか。
結婚して子供を授かったが、伝えたかったことは食事のマナーだ。泉谷しげるの曲に「地下室のヒーロー」というのがあるのだが、この歌詞の一節。
「見ろよあの女の子 食事が下手で汚い 親父がダメなのさ 嫌いなんだぜ」
ってのがある。
僕は、食事のしかたが汚い奴が一番嫌いなんである。
普段は、子供(ちなみに娘×2)にはほとんど説教じみたことを言わないが、飯碗の持ち方が悪い~砲丸のようにしっかり握るとか~と、ブチ切れて怒る。椀を持たずに味噌汁の具などを口に運んだら、正座で説教だわな。
もともと日本の食卓とは銘々膳であり、正座して臍の位置位の高さなわけで、器を持って食わないとボロボロこぼれるんである。椅子に座ってテーブルで食う文化が、なんかおかしい。
僕は営業マンのはしくれであるからして、平日の昼飯とかは出先で安い定食屋とか牛丼屋ですますことが多い。ここで、
「いい年して食い方汚いクソジジイ」
を目撃してしまう。
牛丼屋とかで、丼を持って食うヤツが少ないのには驚きかつ情けなくなった。おまえら、丼重いのかと。熱いのかと。ガキがやってるならまだ再教育できるだろうが、どう見ても僕より年上としか思えない、まぁジジィのたぐいがさも億劫げにテーブルに安置した器に盛られた牛丼を箸ですくって食う姿を見たら、
「三島由紀夫先生、今すぐ冥界から蘇ってください」
と祈願したくもなりますわ。若い衆ならともかく、白髪に老眼鏡のジジイがテーブルに置いたままの牛丼を右手の箸だけで食う姿、最悪ですよ。老眼で食うものが見えず、疲れて丼も持てないのなら、帰りがけに迷わず首くくればいい。日本で暮らして飯碗が持てないのなら最早生きてる理由はない。飯椀を持つのが嫌なら朝鮮半島に行け(朝鮮半島の食事スタイルは器を持たないのが普通)。
僕は年長者を敬う素地で生きてきた男だが、自分もかなりいい年になってみると、「年長者=人格的に立派なヒト」ではないってことが非常に分かります。僕の尊敬するオヤジたちとどうしようもないオヤジたち、そのジェネレーションの違いはものすごく接近してるけど、ある時期を境に全て変わってしまったんでしょうね。
以前実家に帰ったとき、老いた父が食卓にひじをついて飯を食ってるのをみて、半泣きで諌めましたよ、ワタシは。
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じーちゃん その2

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多くの人は、じーちゃんとばーちゃんが二人ずついることだろう。いわゆる、父方母方ってやつだわな。
昔のエントリでも取り上げたが、僕が一番尊敬する人間には、もう永年名誉顧問みたいな位置に母方の祖父がいる。元陸軍軍人で、満州にいた関係上大東亜戦争後にソヴィエト連邦に抑留された。生きて帰って来れたために僕も生まれたわけだが、16年前に亡くなった。最期まで、髪は白かったがフサフサだった。
いっぽう、父方の祖父とは、生まれてからずっと同居してたわけだ。田舎のことだし、僕の家は最盛期には両親・姉二人・祖父母・親父の弟二人それに僕と、合計九人家族だったこともある。田舎のアタリマエとして、僕のような末っ子は祖父母が育てるのと同義だった。
同居してた父方の祖父ってのは、僕が小学校に上がる前の年の秋に死んだ。実は、あまり記憶に残ってないんである。最も記憶に残ってるのは、祖父が死んだ夜のことだけだ。イナカの40年前、ヒトはイエで息を引き取るのが普通だった。祖父は風邪をこじらせて寝付き、一週間かそこらで死んだと記憶してる。享年72歳だったそうだ。
末っ子の長男だった僕は、祖父にことのほか可愛がられたそうだ。田舎の魚屋の隠居じじいは、昼間から酒をくらって、徒歩5分のところにある国鉄の駅で背負った孫に蒸気機関車を見せていたんだそうだ。父方の祖父は母方の祖父よりもだいぶ年を食っていたため、徴兵にもあわず田舎で過ごした。戦中において(昭和12~20年)、僕のオヤジの弟4人をばーさんに産ませたんだから、あるイミバカヤロウかもしれん(笑)。
いまや実家の仏壇の写真でしか拝めない祖父、頭はほぼスキンヘッドである。僕の記憶の中でも、耳の上あたりに短い髪の毛が残ってたもののほぼハゲだった。明るいうちから酒を喰らい、キセルでタバコをふかすじいちゃん。僕も最近だいぶ年を喰ってきたが、どうもあんたらじいさま達に顔つきが似てきたような。髪はまだだいぶあるんで、母方のほうかな。顔つきは父方の大酒飲みに似てきたかな。あなたがたに恥ずかしくないような生き方を、残りの人生でやっていきます。
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