市川電蔵事務所

ヘンだと思ったらちゃんと抗議する、そんなアタリマエのことができるようになろうと。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告
∧top | under∨

竹島の日

a0026107_2124783.jpeg
僕はまったく運動が得意でない。野球をすれば三振でフライも取れないし、サッカーに加わればただボールが転がる方向に走るだけ、バスケやバレーは仲間に入れてももらえなかった。走るのも遅いし長距離もダメ。今でこそ中肉中背だが、子供の頃は平均以下の身長体重で、平たく言えばただの運動音痴のチビだった。
よって、ガキの頃はお外で遊ぶよりは図書館や家で本を読むことが多かった。小学校の頃は江戸川乱歩の少年向け探偵小説や、児童向けネタを中心にリライトされた落語全集を好んで読んだ。その後中学に入ってから、筒井康隆という作家を知る。僕がはじめて「作家指名」で読み始めた作家である。
筒井康隆は自ら主宰する同人を経て「東海道戦争」という短編でデビュー。同時期に処女長編の「48億の妄想」を上梓する。1965年のことである。
この長編小説は、肥大化したマスコミによって国民も政治家も操られている様子を描く。日本中にテレビ局のカメラが設置してあり、スクープを狙っている。カメラがあって撮影されていることを皆熟知しているので、生活すべてがテレビ映りを気にする演技となっている世界なのだ。陳腐な言い方だが、40年以上前の小説とは思えないんである。
この小説のクライマックスは、なんと「日韓海戦」である。イ・スンマン・ラインによって漁業権を侵され、日本側漁船が次々と拿捕されていたこの時代でよくもまぁ書けたと思うが。ネタバレになるのでくわしくは書かないが、マスコミの演出により韓国征伐に向かう芸能人とかを面白おかしく描いている。筒井康隆の処女長編なのにほとんど見向きもされないってのは、このクライマックスに問題があるからなんだろうな。
前置きが長くなったが、竹島の日が近づいた。僕が竹島問題を知ったのはネットのおかげで、まだ5年くらい。それまでは韓国・朝鮮に対して、「触らぬ神にたたりなし」のスタンスを保ち続けていた。しかし、さまざまな情報を得てひとたび考えれば、どうしても放置しておく問題とは思えなくなってきたのだ。
微力ながら今年も参加させていただきます。
Web竹島問題研究所→島根県による「竹島問題公式サイト」です。
竹島問題→田中邦貴(たなかくにたか)氏による研究。事実の積み重ねによる冷徹な分析が白眉。
パイレーツ・オブタケシマ~呪われた日本人~(竹島問題)→笑いながらも学べるつくり。お勧めですw
スポンサーサイト
別窓 | 東アジア問題 | コメント:1 | トラックバック:0
∧top | under∨

河北や(千代田区神田錦町)

IMG_0734.jpg

厳密にはラーメンの話題ではありませんけどね。
僕の生まれ故郷には、「冷たい鶏そば」といわれるメニューが存在する。正確には「肉そば」なんである。つまるところ、「肉=鶏肉」なんだよ悪いかよコラ。
どういうメニューかというと、「かけそばのツユが冷たくて、具として醤油で煮た鶏肉スライスが載ってる」ようなもんである。ついでにツユには鶏肉を煮たダシも使われているので、純然たる日本そばのツユとは少し違う。
んでもって、鶏肉はふつーの鶏肉ではなく、廃鶏といわれる、ババ鶏(卵を産まなくなった鶏)を使うのが本式。「鶏肉」としてふつーに売ってるのは、いわゆるブロイラーで、若い。この廃鶏の肉は、とてもじゃないが唐揚なんかにはできない。硬くて肉が薄くて臭い。まぁ臭いというのは言い過ぎで、言葉を換えれば肉の味がするとも言えるが。
だがしかし、こういったババ鶏は非常にいいダシが出る。このダシをそばつゆに加える。脂は極力除いてね。昨今ラーメンのスープで取りざたされる「(魚系と肉系の)ダブルスープ」の嚆矢ともいえるんではないか。
まぁとにかく、僕の故郷のほうでは暑い夏にこの冷たいそばを食うのが楽しみであったわけで。学校を出て会社に入り、故郷を出て東京近辺を回る仕事に就き、「冷たい鶏そば」が食いたくなっても、なかなかありつけずにいた。たまに帰省したときにむさぼり食って、慰めとしていた程度。
だがついに発見した。どう考えても故郷関係者がやってるとしか思えない店。そのものずばりの店名、「河北や」だ。
IMG_0735.jpg
神田錦町というオフィス街立地。立ち食いそば店がほんの少しオサレになったような感じのつくり。どうも昔は埼玉の北浦和にあったようだ。
券売機で食券を買い、肉そばを。店のおばちゃんらはなまりもなく、故郷関係ではないようですがw
出てきたそばは、うむ、まとも。そばが平打ちタイプと故郷ではあまりありえないスタイル。製麺機の関係かな。まぁ許せる範疇ですわ。ツユもよろし。若干鶏の脂が多いかな。
鶏肉スライス。
いい感じに硬くていいっすよ先輩。
大好きだったじいちゃんちに遊びに行って、出前とってくれたあの味を思い出して涙が出そうになったよ。
店はここ。今後、神田近辺ではラーメンを食わずここでそばを食うことにしますw
別窓 | らーめん好き | コメント:1 | トラックバック:0
∧top | under∨

Kせんせい

200506_img_16.jpg
↑このドラマはリアルタイムで泣きました。
「恩師」という言葉があるが、残念ながら僕にはそれに相当する存在はない。「印象に残った教師」が多少いるだけである。
僕はもう40を過ぎて、子供が中学に通い僕自身がPTAの役員をするくらいなのだが、僕が中学の頃の教師はかなりアツかった。
K先生は僕の一学年上の担任教師で、英語担当の野球部監督だった。僕が中学生の頃にはたぶん僕の今の年齢より若く、30代だったろう。いわゆる、「暴力教師」だった。野球部の監督ということもあり、部員への鉄拳制裁は当たり前。実際どうだったかはわからないが、今で言う生活指導教諭だったのか、一般生徒への鉄拳制裁も当たり前で、校内で恐れられた教師だった。
僕の世代は「金八先生」の初期の頃で、トーホグの田舎でも中学生の「非行」と「校内暴力」が問題となってた頃。僕が通う中学は最も田舎に属してたためまだましだったが、隣の「市」の中学は、首都圏の中学に近い状況にもなっていた。
中学生の頃の僕は、その頃の言葉でいう「ツッパリ」に憧れながらも決してそこまでいけない、お勉強は多少できるという非常にイヤな立ち位置のガキだった。丸刈り(当時の中学男子は丸刈りが校則でした)が少し伸びたようなアタマにポマードを塗りたくってリーゼント風にして喜んでいたんですよw。K先生は、こういったガキに、「どうあがいてもかなわない存在がある」ということを刷り込むために存在していたんですな。
僕の自宅は中学校から歩いて2分のところにあって、けっこうタマリ場になっていた。ある時、昼休みに僕の自宅に友人一緒に行って、また戻ったところをK先生に見咎められた。両親は共稼ぎで平日昼間は祖母が家にいるだけ、その祖母もまた当時から非常に体が丈夫で日中は家になどいないし、田舎のこととて施錠しない(これは当時マジで日中は家に鍵をかけたおぼえがない)ので、喫煙とかするわけではないにせよ、昼休みに「電蔵の部屋で休もう」ってのは普通だったんだよね。
そうやって昼休み明けまた校門をくぐった僕と友人を、K先生が発見したわけだ。「校則では終業時間まで校外に出てはいけないことになっているがどうしたのか」との問いに、僕らは半分ふてくされて「学校の近くの電蔵の家に行ってました」と答えた。
タイムラグなく、ビンタが飛んできた。
野球部の監督をやるくらいなのでバリバリのスポーツマンだし、ビンタ慣れしてるのでえらく掌が厚い。チンコに毛が生えかけた程度のガキにはションベンちびりそうな痛さのビンタだった。実際口の中を切ったんだが。おおらかな時代だったんだろう。午後の授業も顔半分腫らして受け、家に帰る。
夕飯を食うにも、先生のビンタで口の中を切ってるので食物が沁みる。飯を食う速度も下がる。当時の僕に対しては、育ち盛りで馬鹿みたいにメシ食ってる印象を持ってた父親が、どうしたと尋ねる。僕は馬鹿正直にこういうことで先生に殴られたと答える。
「おまえが悪いわ馬鹿が 先生が殴るのは当然だわこの馬鹿」
こう言って親父はまた僕を殴った。おかげで飯が食いにくくなる期間が1週間延びたような気がする。
一昨年、中学の同窓会があるというので参加した。僕の担任のS先生と、特別ゲストとして件のK先生もおいでになった。担任だったS先生はその後教師としてのエリートコースを歩み、どっかの校長先生をお勤めになったそうだ。
K先生は、学区の中学を渡るうち、ホンキで「暴力教師」のレッテルを貼られてしまい、さきのS先生と正反対で「教師」としては非遇な終わりだったと言っていた。教師が生徒を殴ることを、親が是と思い生徒も是と思う時代は僕たちの世代が最後だったと述懐した。
だが、K先生は「自分がやってきたことは決して間違ってはいなかった」と言った。事実、その同窓会のとき、のちに校長を務めたS先生と最後まで暴力教師だったK先生、そのまわりで酒を酌み交わすもと生徒の数は、圧倒的にK先生のほうが多かったのである。その周囲を決して離れなかったのは、当時最もK先生に反発していた、僕らのような腐れガキどもだったことは言うまでもない。
ホンキでガキを叱れる大人になったのか、未だ自信のない僕である。
別窓 | 忘れえぬ人々 | コメント:2 | トラックバック:0
∧top | under∨

漢字で考えよう

images.jpeg
↑さすがにこれはわからんがw
韓国に住まう日本人としてつとに有名な、産経新聞ソウル支局長の黒田勝弘氏のコラムが好きなんである。
【外信コラム】ソウルからヨボセヨ 韓国人の漢字力
携帯電話でよくメールを送ってくる韓国人の知り合いがいる。韓国語だから当然、ハングル文字になっている。ところが韓国暮らし30年のぼくにしても時々よく分からない単語が混じっている。そのつど辞書を引いて思わず「ウーン…」とうならされる。
 たとえば最近のメールでは「ピモンサモン」「イワンジサ」「エジジュンジ」「キジンメクジン」などとハングルで書いてある。辞書を引くと漢字では「非夢似夢」「巳往之事」「愛之重之」「気盡脈盡」とある。いわゆる4文字熟語で、意味は「夢うつつでぼーっとしていること」「すでに起きてしまったこと」「非常に愛し大事にしていること」「疲労困憊(こんぱい)でぐったりしていること」。
 メールの主は中年世代だが、子供のころおばあちゃんがよく言っていたので覚えたという。ところがどの言葉も漢字では書けない。だからその言葉の由来も知らない。漢字のイメージはまったくなくて、ただそういう意味の言葉として使っているのだ。
 漢字を排除した現代韓国語の切ない現状だが、それでも漢字語は依然、大好きだ。どこか権威があってカッコいいからだ。今朝の新聞の政治記事には「踏んだりけったり」の意味で「ソルサンカサン(雪上加霜)」と見出しがついていた。要人が下野すると決まって「今後は“ペギジョングン”でがんばりたい」という。「1兵卒となって…」という意味の「白衣従軍」だが、漢字を見て“従軍看護婦”と間違ってはいけない。(黒田勝弘)
2009.1.31 03:23産経新聞

朝鮮半島ウォッチャーを気取る身としては、黒田勝弘支局長や敬愛するVladimir氏のように朝鮮語のひとつもできないといかんと常々思ってるんである。しかしいまだに習得できずにいるので、聞きかじりの知識をひけらかすことにする。
そもそも朝鮮語は、ハングルという表音文字を用いて表記するわけであるが、日本語のひらがなやカタカナとはちと違う。字母といわれる記号を組み合わせて発音をあらわすわけで、こういう側面ではアルファベットに近い。朝鮮語も日本語も漢字文化圏の影響下にあり、漢字を自国語に訳して発音することを行った。「漢字」は日本語の表音記号を用いて書くと「かんじ」「カンジ」である。二文字が三文字に増えてしまった。日本語の表音文字は基本的にすべて単音節なのでこうなる。ローマ字表記にしたら「kanji」でまた増える。
しかしハングルで書くと二文字で済む。基本的に漢字一文字に対する発音記号の組み合わせで字を構成できるためである。この点はある意味非常に合理的な言語体系といえる。しかし、漢字という表意文字を使うことによる情報の集積力はものすごい。一文字もしくは数文字の熟語などにより、限られたスペースで多くの情報を伝達することが可能なのである。残念ながら朝鮮語は漢字使用をやめつつある。過去にはヴェトナム語が漢字使用をやめてアルファベットと補助記号による標記に切り替えたが、シナ文化・漢字文化への依存度や同音異義語の多さなどの事情が違うようで、目立った混乱はなかった。
漢字で思考することをやめないほうがいいと思うぞ。
別窓 | 日々徒然 | コメント:0 | トラックバック:0
∧top | under∨
| 市川電蔵事務所 |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。